17日土曜日、寮のクリスマス会が行われました。黒川先生による楽しい聖書講話、「クリスマス・キャロル」を現代風にアレンジした演劇、プロの歌手を含む小コンサート、一流の料理人が作った贅沢すぎる料理。コロナのために少人数でしか行えなかったのが残念なくらい素晴らしい内容でした。以下、写真と劇の一部をアップいたします。
2022年12月18日
2022年10月27日
久しぶりのバーベキュー
実に3年ぶりに寮の中庭でバーベキューを行った。幸い天気は上々、風もなく、寒くもない。近所の肉屋から上質の豚バラと牛ロースを、スーパーから焼き鳥セットを買ってきて、炭火で焼き、寮の菜園でとれたサンチュやロメインレタスと共に食べる。最高だ。残念なのは、寮内は禁酒なのでビールが飲めないこと。「今日だけは解禁にしよう」と寮生は口々に言っていたが、さすがにゴーサインは出せない。私も苦しいところだ。
さて、この寮で感心なのは、寮生たちが後片付けをきちんとやるところだ。私は用事があり、後片付けを寮生たちに任せて、途中退場せざるを得なかったのだが、用事を終えて帰ってみると、網洗いから炭火の処理まで、後片付けがきちんとなされていた。こんな寮は、ちょとない。
寮長 小舘美彦
2022年05月12日
新入生歓迎会で学んだこと
新入生歓迎会で学んだこと
今年は、留学生が二人入ったので、国際料理交流というテーマで新入生歓迎会をやることになった。インドネシア人のマーシャル君は、様々な具材を小さな石臼でこねてインドネシアのサラダを作ってくれた。モンゴル人のバオ君は、モンゴル秘伝の本格的な餃子を作ってくれた。そして日本人の学生は、ピザとティラミスを作った。日本人が提供する料理がピザとティラミスというところが日本人らしいというか、日本人らしくないというか。いずれにせよ、みんなで一緒に作っている時点では、とても楽しかった。
しかし、いざ出来上がってみると、空気は一変した。というのも、みんなが一生懸命作り過ぎたために、量が多くなりすぎ、味を楽しめないほどになってしまったからだ。どれもおいしいのだが、作った分すべてを食べることなどとてもできない。食べ続けるうちに最初はおいしいと思われていたものもおいしいとは思われなくなってきた。マルクスの剰余価値説をみんなで思いっきり体験してしまったのだ。
しかし、まあ、これが男子寮の良いところだろう。綿密に計画せずに、失敗をしてしまう。そこから体験的知識と寛容を学んでいく。命にかかわるようなことでは綿密に計画して失敗しないように細心の注意を払わなければならないが、それ以外では計画はそれなりでよいのだ。なぜなら、人は失敗の経験から本当の知恵を学んでいくものなのだから。今の日本には、こういう男子寮的体験が絶対的に必要だ。
寮長 小舘美彦
2022年04月25日
国際的料理文化交流
新たにインドネシアから留学生が入寮した。寮生たちにとって、インドネシアは未知の世界である。だから、皆が彼にいろいろなことを尋ねる。寮生たちも得意になって日本ことを彼に教える。実にほほえましい光景だ。
2022年01月17日
しめやかな餅つき大会
寮の倉庫には、前々から臼と杵があった。それを見つけた寮生たちが餅つきをやろうと言い出した。しかしコロナが増えてきているので、大々的には行えない。というわけで、寮内でしめやかな餅つき大会を行うことになった。しめやかなと言っても、餅つきの準備はかなり大変だ。臼と杵をきれいに洗い、ひび割れやささくれを修復し、前日には水を張り、当日にはお湯で温める。もち米は前日から研いで水につけておき、釜底には煤がこびりつかないようにクレンザーを塗っておく必要がある。せいろ、かまど、薪を準備しなければならない。出来上がった餅を食べるための黄な粉、あん、のりとしょうゆ、大根おろし、ゴマも用意しておく必要がある。もち米の寮や蒸し時間を間違えてはならない。こんなことが寮生たちにできるのであろうか。ひょっとするとすべて寮長が全てやらなければならないのではないだろうか。一抹の不安が脳裏をかすめた。
しかし、心配は無用であった。私が道具類を準備すると、あとは寮生たちがどんどん準備し始めた。そして当日には、なんと私が用事で留守にしている間に、自分たちだけで餅つきの大半を終わらせてしまったのだ。おいおい、そこまでやならなくても。自立的な若者は頼もしいが、寮長としてはちょっと寂しい。
寮長 小舘美彦
2021年12月27日
素晴らしいクリスマス会
今年度のクリスマス会も、コロナを配慮して、小規模開催となりました。理事長の千葉先生ご夫妻と前寮長の森山先生ご夫妻だけをお招きし、賄のスタッフの皆さんと共に、12月17日にイエス様のご降誕をお祝いしました。
ゲーム世代だからでしょうか。今どきの寮生はイベントを楽しくするのが実にうまい。例えば、自己紹介もただ自分について話してもらうだけでなく、「パーソナル・クイズ」という形にして、その人の過去を推測し合うというエキサイティングなゲームにしてしまいます。一年を振り返るのも、「春風学寮10大ニュースランキング」という形にして、一大ニュースショウのようなものにしてしまいます。
お陰で今年のクリスマスは、参加者全員が世代を超えて心のふれあいを満喫することのできる本当に素晴らしいクリスマスとなりました。
しかし、このような素晴らしいクリスマスを可能にしてくれた本当の立役者は、やはりイエス様であると私は考えています。というのもこの一年は、寮生間に少なからぬ不和が生じ、人間関係の難しさを体験する一年だったからです。しかし、イエス様に絶えず目を向けて歩もうと私が絶えず日曜集会で呼びかけ、寮生たちもそれに応じつつ歩んでくれたために、クリスマスの近づくころには、全員の間に親密な雰囲気が生まれてきました。これはやはりイエス様の働きでしょう。
イエス様と共に歩む限り、ほとんどの困難は乗り越えていくことができる。そのことを改めて感じさせてくれるクリスマス会でした。ハレルヤ!
寮長 小舘美彦
『自由からの逃走』の拒否
『三四郎』の後に読書会で読み始めたのは、フロムの『自由からの逃走』である。世界各地で独裁的な政権が打ち立てられている今、これほどアップトゥデイトな読み物はあるまい。また内容的にも心の問題からと社会問題にわたる幅広い題材を扱っているので読書会には最適である。
しかし、それだけにこの本を読みこなすのは難しい。参加者の中には、「何が言いたいのかさっぱりわからない」と嘆く者も現れた。彼らは脱落するのではないかと私は諦めかけていたのだが、しばらくすると驚くべきことが起こった。彼らが共同で読書会のための予習を始めたのだ。おかげで次回の読書会は、極めて充実したものとなった。みんなで話し合いながら高度なテキストを読み解いていくという理想的な読書会となったのだ。
「何が言いたいのかさっぱりわからない」と嘆いていた学生が読書会の終わりに興奮気味にこうつぶやいた。「勉強がこれほど面白いと思ったのはこれが初めてだ。」そうなのだ。主体的に協力して取り組めば、勉強は最高に楽しい。そしてこれこそは、『自由からの逃走』とは反対の態度、自由への挑戦である。彼らは知らず知らずのうちに、自由への挑戦を開始していたのだ。こういうことが起こるから、寮生活はやめられない。
寮長 小舘美彦
2021年11月15日
『自由からの逃走』の拒否
『三四郎』の後に読書会で読み始めたのは、フロムの『自由からの逃走』である。世界各地で独裁的な政権が打ち立てられている今、これほどアップトゥデイトな読み物はあるまい。また内容的にも心の問題からと社会問題にわたる幅広い題材を扱っているので読書会には最適である。
しかし、それだけにこの本を読みこなすのは難しい。参加者の中には、「何が言いたいのかさっぱりわからない」と嘆く者も現れた。彼らは脱落するのではないかと私は諦めかけていたのだが、しばらくすると驚くべきことが起こった。彼らが共同で読書会のための予習を始めたのだ。おかげで次回の読書会は、極めて充実したものとなった。みんなで話し合いながら高度なテキストを読み解いていくという理想的な読書会となったのだ。
「何が言いたいのかさっぱりわからない」と嘆いていた学生が読書会の終わりに興奮気味にこうつぶやいた。「勉強がこれほど面白いと思ったのはこれが初めてだ。」そうなのだ。主体的に協力して取り組めば、勉強は最高に楽しい。そしてこれこそは、『自由からの逃走』とは反対の態度、自由への挑戦である。彼らは知らず知らずのうちに、自由への挑戦を開始していたのだ。こういうことが起こるから、寮生活はやめられない。
寮長 小舘美彦
2021年11月01日
「『三四郎』は推理小説であった」
後期の読書会では、夏目漱石の『三四郎』をじっくりと読んでいる。そして分かった。『三四郎』は極めて高度な推理小説であると。推理小説とは、江戸川乱歩の定義によれば、「主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれていく経路の面白さを主眼とする小説」である。この定義の「犯罪」と言うところを「心の罪」と言い換えれば、すっぽり『三四郎』に当てはまる。
漱石の小説のほとんどは、一見何が言いたいのか全く分からない。殺人事件が起こるわけでもなく、主人公たちが対決するわけでもなく、プロットが劇的に展開するわけでもない。ただ、主人公たちでの日常的な体験と、それにまつわる心の動きが淡々と描かれているだけである。これを一人で読んだとしても、何が言いたいのかさっぱりわからない。
ところが、読書会でみんなの力を合わせて読んでみると、さりげない出来事がすべて心の重大問題の伏線になっていて、それらから登場人物たちの心の罪や日本社会のひずみ、そしてそれらから逃れることのできない人間の哀れさや健気さが露わになってくる。
寮の読書会があって、初めてそのような漱石の素晴らしさが明らかになった。また、漱石の高度な小説があって、読書会というものの素晴らしさもまた明らかになった。世の中にはみんなで読んだ方が良い本があるのだ。
ちなみに、そのような本の筆頭は聖書である。聖書こそはみんなで読んで初めて理解できる本である。寮の日曜集会は、みんなで聖書のなぞを解き明かす読書会のようなものだ。
寮長 小舘美彦
2021年09月21日
「新たなる出発」
9月12日(日)、寮の活動が本格的に始まった。その開始を象徴するかのように、寮の有志が春風農園を造った。高々二坪ほどの菜園を農園とは、いささか大げさだが、そこには秋の新しい出発に対する大きな期待が込められていよう。
これを機に、春から夏にかけての菜園の収穫を報告しよう。ゴーヤ39本(プランター苗4本から)、キュウリ21本(プランター苗2本から)、ミニトマト110個(菜園苗1本から)、イエロートマト94個(菜園苗1本から)、トマト34個(菜園苗3本から)。以上は成功した例。他方以下は失敗した例。ピーマン14個(菜園苗3本から)、ナス6本(プランター苗2本から)、米ナス2個(プランター苗1本から)。
この成否を分けたものは何か。作物の背の高さであろう。寮は基本的に日当たりが悪い。木が多く茂っているからだ。そのような中でもゴーヤやキュウリやトマトが成功したのは、これらの背が高く、日差しを多く浴びることができたからである。他方ナスやピーマンの背は高くない。それゆえに日差しを多く浴びることができず、多くの収穫をもたらせなかったのである。
人間も同じである。太陽の方を向いて背を伸ばしていけば、たとえ日当たりの悪いところにいようともたくさんの実をもたらすことができる。しかし、太陽の方を向いて背を伸ばしていくことができないならば、日陰に負けて収穫も少なくなってしまう。幸い人間は、野菜と違って、意志次第で太陽に向かって背を伸ばしていくことができる。寮生にはぜひとも太陽に向かってぐんぐんと背を伸ばし、太陽の光をいっぱいに浴びてほしい。
人間にとっての太陽とは何か。もちろん真理であり、神であり、神を体現するイエス・キリストである。
2021年9月19日(日)寮長 小舘美彦
続きを読む2021年09月10日
「真夏の夜の夢」
寮生の一人がバレエ・ダンサーをしていて、『白鳥の湖』の王子役と『レミゼラブル』の宿屋の主人役をやると言うので、寮に残っている寮生たちと見に行った。コロナ下ということで観客は家族や関係者だけだったが、その内容は実に素晴らしいものであった。バレエ・ダンサーの彼は、学業よりもバレエを優先するプロ志望の学生で、現在も出演料をちゃんともらっている。それだけあって、驚くほど踊りがうまく、素人目にもその優秀さが解った。
何よりも私たちを驚かせたのは、『白鳥の湖』の王子役の時の彼と『レミゼラブル』の宿屋の主人役の時の彼との違いであった。王子の時の彼は、優美にして繊細、大胆にして華麗、まさしく王子であった。ところが宿屋の主人の時の彼は下品そのもの、宿屋の客に娼婦を紹介し、たんまりと金をせしめてにっこりとほくそ笑む。何という落差。これがあの王子を踊っていたのと同じ人物かと目を疑うほどであった。
後日、彼に聞いてみた。「宿屋の主人役、すごくうまかったねえ。ひょっとするとあれが君の地なの?」すると彼は、否定せずに、「どうかなあ」と笑っていた。その笑顔を見ながら私は思った。「彼はもう夢の世界に生き、夢を売るプロなのだ。これは大物になる」と。
2021年9月9日
寮長 小舘美彦
2021年08月12日
「ゴーヤ大豊作」
日照りが続くからか、ゴーヤが採れて採れて仕方がない。たった二つのプランターから、今日一日で11本採れた。今迄に採れたのを合計すると、約30本で、これからもまだ採れそうである。
困ったのは、食べ手がいないことだ。寮生のほとんどは帰省しており、残った数人の寮生はあまりゴーヤが好きではない。おかげで寮長の食卓のおかずは毎日のようにゴーヤチャンプルである。
しかし、黄色くなったゴーヤは、苦みがなく、やわらかいので、サラダにして食べると結構いける。これである程度単調さを回避できる。
ちなみに、黄色くなったゴーヤこそが完熟状態であり、栄養もより豊富なのだそうだ。緑のゴーヤだけが食べられるゴーヤだ、などと思いこまずに、ぜひ挑戦してみてほしい。
寮長 小舘美彦

2021年07月21日
グリーンカーテン成功
寮生たちがプランターに植えたキューリとゴーヤが見事に成長。グリーカーテンとなって、寮の断熱効果に貢献している。それだけでなく、その収穫は寮の夕食に添えられたり、寮生が作る昼食の材料となったりで、大活躍。たかがプランター栽培でここまで育つとは。来年は、花壇に植えてしまおうかな。
2021年07月17日
春風学寮の大収穫
ついに梅雨が終わり、春風学寮は大収穫の時期となった。写真は、春風学寮の菜園で7月17日に採れた野菜の写真だ。
しかし、大収穫は野菜だけではない。文化的にも大収穫がもたらされた。その大収穫とは、毎週のように行われる学術座談会と読書会である。この一月余りの間に行われた学術座談会と読書会のテーマを羅列すると以下の通り。「『走れ、メロス』再読」、「赦しについて」、「法学と神学の類似性」、「二項対立的思考から抜け落ちるもの」、「『源氏物語』の注釈から見えてくる紫式部の文学空間」、「ショーペンハウアーの『読書について』を読む」、「ポアンカレ―の『科学と仮説』を読む」、「村上陽一郎の『科学史・科学哲学入門』を読む」。
いずれの話し合いも、真理を追究しようという真摯なものであった。ときには目をみはるばかりの高みに達することもあった。それを具体的に紹介できないのは実に残念なことである。しかし何よりも重要なことは、これらのすべてをやろうと言い出したのは、寮生たち自身であるということである。寮長の私がやれと言った覚えは全くないし、やるように促したことすらない。
これこそ春風学寮の夏の大収穫ではないか。秋にはきっとこれ以上の収穫があることだろう。
寮長 小舘美彦
2021年06月07日
2021年05月31日
「アカデミックサロン開始」
新入寮生の一人が日曜集会の後でみんなに提案した。「僕は話すのも人の話を聞くのも苦手だ。だから、そうしたことの訓練ができるように学術座談会を週に一度開催してはどうか。毎回担当者を決めて自分が学んだことや体験したことについて学術的に発表してもらう。それについてみんなで話し合う。そうすれば全員のコミュニケーション能力が上がるのではないか。」これは実に素晴らしい提案だ。しかし他の寮生たちは果たしてこれに同意するであろうか、と心配する私をよそに、満場一致でこの座談会の開始が決定されてしまった。なんという展開であろうか。
早速準備会が持たれ、どのような形で進めるかが話し合われた。そして毎回の担当者が決められた。この時にも驚くべき光景が見られた。担当者を擦り付け合うのではなく、数人が自発的に引き受けたのだ。
さて、これからどうなることか。この会が続いていけば、春風学寮は春風学術寮(アカデミア春風)となるかもしれない。
続きを読む2021年05月12日
ここは、どこだ
人の寮生が加わった。彼らがいずれも強烈な個性の持ち主なので、寮の状況は一変しつつある。以下その例を紹介したい。
@アカデミックに
今までの寮の中心メンバーは、体育会系の学生だった。だから、活動的、実践的、協調的であった。ところが今回加わった学生たちのうちの三人は無類の読書好きであり、暇さえあれば本を読んでいる。このスマホ全盛の時代に読書好きが三人も集まるとは。だから、読書会や日曜集会などで話し合いを行うと、意見や感想が百出し、その話し合いは相当にハイレベルになる。まるでスマホ以前の時代にタイムスリップしたかのようだ。
Aより清潔に
今までの寮は、他の寮と比べれば全然清潔であり、寮生たちはきちんと掃除をしていた。ところが新しく入った寮生の中にそれを全然上回っている者がいる。当番として割り当てられたと個所以外にも、汚れたところはどんどん掃除し、他の寮生が清潔にしていないと遠慮なく注意しする。おかげで寮はピッカピカである(ちょっと盛ってます)。このような寮が他にあっただろうか。
B料理の達人
今までの寮生の中にも料理好きな者がいたが、今回の寮生の中には料理の達人がいる。このために、寮生間ではキッチンの争奪戦が起こっている(ちと大袈裟です)。先日の母の日には、寮母と寮の賄のおば様のために、タルトやパンを焼いてくれた。これがまた、本格的で実にうまい(写真参照)。賄のおばさまは、「長いこと賄をしているけど、こんなことをしてもらったのは初めてです」とお喜び。
なんだか、この寮は現代の世とは異なる次元にあるかのようだ。2021年01月05日
「クリスマス会2020」
19日土曜日にはクリスマス会を開催した。といっても、コロナ禍なので招待客は一切呼ばず、寮に残っている寮生と寮長夫妻だけで行った。総勢わずか11名。寮史上特筆に値する少なさだ。しかし、参加者が少ないからといって内容が低下するわけではない。それどころか、少ないところにこそ神様の応援がある。事実、礼拝はとても清らかなものとなり(聖書講話参照)、その後の祝会や食事会はとても心のこもった、楽しいものとなった。
寮長夫妻は「マリアとヨセフ」と題するクリスマス・コントを行い、寮生たちはサンタクロースに扮してバレエを踊った。新しく入った寮生がバレエ団の一員なので、彼の指導によって可能となったのだ。また、それぞれが自分の過去に基づいて作問したパーソナル・クイズを行い、楽しみながら互いの理解を深め合うことができた。料理は、寮母が一人で作ったが、張り切ってたくさん作りすぎ、食べきれなかった。プレゼント交換では、農大生の一人が農大生協から食べられる虫を買ってきてプレゼントにしたので、大騒ぎになった。
というわけで、互いとキリストをより身近に感じられる、一味違ったクリスマスであった。



2020年10月26日
「驚くべき新寮生」
最近、新たな若者が寮に加わった。学年の途中で入寮するのは異例なことであるが、それよりも異例なのは彼の年齢である。彼はなんと15才(高校一年生)なのだ!
春風学寮は本来大学生や大学院生のための寮だから、高校生の入寮を認めない。だから、入寮を申し込んできたときには諦めるよう伝えたのだが、それでも彼はぜひこの寮に入りたいと思っており、駄目もとでと必要書類(履歴書、志望動機、精神的自伝)を送ってきた。それらに目を通して私はびっくりした。とても15才の高校生が書いた文とは思われなかったからだ。これなら大学院生たちとも十分暮らしていける。そう思った私は何としても彼を入寮させたくなり、選考委員の理事たちにそれらの書類を転送し、審査してくれるようお願いした。すると理事たちも私と同意見で、面接してみて、本当に書類の通りの人物であるなら特例を認め、入寮させようということに決まった。
果たして面接してみると、彼は本当に書類通りの人物であった。どのような質問にも落ち着いて回答し、その回答はどれも大学生レベルの回答であった。こうして彼は、学年の途中から入寮することになったのである。
ルールは確かに大切である。しかしルールに縛られてばかりいると本当に大切なものを見失う。本当に大切なものとは、ルールの背後にある精神なのである。ルールの枠を超えて入寮を希望し、見事入寮を果たしたこの高校生は、この大切な真理に改めて目を向けさせてくれた。春風学寮を代表して感謝の意を伝えたい。
2020年06月16日
「コロナ禍で現れた春風学寮の圧倒的強み」
「コロナウィルスで寮はさぞかしたいへんでしょう」とねぎらって下さる方が多い。確かにたいへんである。しかし、対策をきちんと立て、それを実行していくならば、さしてたいへんではない。いやそれどころか、コロナ禍のもとにあればこそ、学生寮の圧倒的強みが現れてくる。その強みとは何か。
先ずあげられるのは、ストレスの少なさである。寮は一人暮らしのアパートよりも断然広い。だから運動したり、楽器を演奏したりするところがたくさんある。加えて寮内には、話ができる相手がたくさんいる。三蜜を避けさえすれば、いくらでも交流を楽しめる。いや、交流は深まるとさえ言ってよい。
次にあげるべきは、オンライン授業の助け合いである。オンライン授業ではたくさんの課題が出る。その課題をこなすのは容易ではない。加えて最近の若者の中には、パソコンを苦手とする者が多い。通信のほとんどをスマホに頼るからだ。そのような学生にとってオンライン授業は、鬼門である。ところが寮にいると、これらの困難を乗り越えることができる。他の寮生と協力することができるからだ。特に大学について何も知らない一年生にとっては、寮の先輩たちの助けは、途方もなく頼もしい。そういう助けのない一人暮らしの一年生たちは、一体どうなってしまっているのだろうか。
しかし何と言っても、最高なのは寮費の減免であろう。春風学寮は金儲けのためにやっている寮ではないので、経済的に困っている学生に対しては寮費を減免することができる。この姿勢のお陰で寮生たちはコロナの経済的打撃をあまり受けないですむ。
恐らく春風学寮は、人が想像するよりもはるかに災難に強い。弱そうなところに強みがあるのである。