2022年05月12日

新入生歓迎会で学んだこと

新入生歓迎会で学んだこと

 今年は、留学生が二人入ったので、国際料理交流というテーマで新入生歓迎会をやることになった。インドネシア人のマーシャル君は、様々な具材を小さな石臼でこねてインドネシアのサラダを作ってくれた。モンゴル人のバオ君は、モンゴル秘伝の本格的な餃子を作ってくれた。そして日本人の学生は、ピザとティラミスを作った。日本人が提供する料理がピザとティラミスというところが日本人らしいというか、日本人らしくないというか。いずれにせよ、みんなで一緒に作っている時点では、とても楽しかった。

 しかし、いざ出来上がってみると、空気は一変した。というのも、みんなが一生懸命作り過ぎたために、量が多くなりすぎ、味を楽しめないほどになってしまったからだ。どれもおいしいのだが、作った分すべてを食べることなどとてもできない。食べ続けるうちに最初はおいしいと思われていたものもおいしいとは思われなくなってきた。マルクスの剰余価値説をみんなで思いっきり体験してしまったのだ。

 しかし、まあ、これが男子寮の良いところだろう。綿密に計画せずに、失敗をしてしまう。そこから体験的知識と寛容を学んでいく。命にかかわるようなことでは綿密に計画して失敗しないように細心の注意を払わなければならないが、それ以外では計画はそれなりでよいのだ。なぜなら、人は失敗の経験から本当の知恵を学んでいくものなのだから。今の日本には、こういう男子寮的体験が絶対的に必要だ。

寮長 小舘美彦

   

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posted by 春風学寮 at 12:06| 日記

2022年04月25日

国際的料理文化交流

新たにインドネシアから留学生が入寮した。寮生たちにとって、インドネシアは未知の世界である。だから、皆が彼にいろいろなことを尋ねる。寮生たちも得意になって日本ことを彼に教える。実にほほえましい光景だ。

 中でもほほえましいのは、料理の交流だ。日曜日になると寮生たちは、彼にインドネシア料理を作ってもらう。お返しに、というわけではないが、彼に自分たちの作った料理を食べてもらうこともある。男子寮生たちが料理文化の交流を国際的に行う。これ以上ほほえましいことがあるだろうか。ここには、各自の個性とその背景である伝統を尊重する真の交流がある。

 多くの学生がこのような寮生活を体験すれば、戦争もなくなるであろうに。

寮長 小舘美彦

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posted by 春風学寮 at 10:24| 日記

2022年01月17日

しめやかな餅つき大会

寮の倉庫には、前々から臼と杵があった。それを見つけた寮生たちが餅つきをやろうと言い出した。しかしコロナが増えてきているので、大々的には行えない。というわけで、寮内でしめやかな餅つき大会を行うことになった。しめやかなと言っても、餅つきの準備はかなり大変だ。臼と杵をきれいに洗い、ひび割れやささくれを修復し、前日には水を張り、当日にはお湯で温める。もち米は前日から研いで水につけておき、釜底には煤がこびりつかないようにクレンザーを塗っておく必要がある。せいろ、かまど、薪を準備しなければならない。出来上がった餅を食べるための黄な粉、あん、のりとしょうゆ、大根おろし、ゴマも用意しておく必要がある。もち米の寮や蒸し時間を間違えてはならない。こんなことが寮生たちにできるのであろうか。ひょっとするとすべて寮長が全てやらなければならないのではないだろうか。一抹の不安が脳裏をかすめた。

しかし、心配は無用であった。私が道具類を準備すると、あとは寮生たちがどんどん準備し始めた。そして当日には、なんと私が用事で留守にしている間に、自分たちだけで餅つきの大半を終わらせてしまったのだ。おいおい、そこまでやならなくても。自立的な若者は頼もしいが、寮長としてはちょっと寂しい。

寮長 小舘美彦

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posted by 春風学寮 at 09:39| 日記

2021年12月27日

素晴らしいクリスマス会

今年度のクリスマス会も、コロナを配慮して、小規模開催となりました。理事長の千葉先生ご夫妻と前寮長の森山先生ご夫妻だけをお招きし、賄のスタッフの皆さんと共に、12月17日にイエス様のご降誕をお祝いしました。

 ゲーム世代だからでしょうか。今どきの寮生はイベントを楽しくするのが実にうまい。例えば、自己紹介もただ自分について話してもらうだけでなく、「パーソナル・クイズ」という形にして、その人の過去を推測し合うというエキサイティングなゲームにしてしまいます。一年を振り返るのも、「春風学寮10大ニュースランキング」という形にして、一大ニュースショウのようなものにしてしまいます。

 お陰で今年のクリスマスは、参加者全員が世代を超えて心のふれあいを満喫することのできる本当に素晴らしいクリスマスとなりました。

 しかし、このような素晴らしいクリスマスを可能にしてくれた本当の立役者は、やはりイエス様であると私は考えています。というのもこの一年は、寮生間に少なからぬ不和が生じ、人間関係の難しさを体験する一年だったからです。しかし、イエス様に絶えず目を向けて歩もうと私が絶えず日曜集会で呼びかけ、寮生たちもそれに応じつつ歩んでくれたために、クリスマスの近づくころには、全員の間に親密な雰囲気が生まれてきました。これはやはりイエス様の働きでしょう。

 イエス様と共に歩む限り、ほとんどの困難は乗り越えていくことができる。そのことを改めて感じさせてくれるクリスマス会でした。ハレルヤ!


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寮長 小舘美彦

posted by 春風学寮 at 14:56| 日記

『自由からの逃走』の拒否

 『三四郎』の後に読書会で読み始めたのは、フロムの『自由からの逃走』である。世界各地で独裁的な政権が打ち立てられている今、これほどアップトゥデイトな読み物はあるまい。また内容的にも心の問題からと社会問題にわたる幅広い題材を扱っているので読書会には最適である。

 しかし、それだけにこの本を読みこなすのは難しい。参加者の中には、「何が言いたいのかさっぱりわからない」と嘆く者も現れた。彼らは脱落するのではないかと私は諦めかけていたのだが、しばらくすると驚くべきことが起こった。彼らが共同で読書会のための予習を始めたのだ。おかげで次回の読書会は、極めて充実したものとなった。みんなで話し合いながら高度なテキストを読み解いていくという理想的な読書会となったのだ。

 「何が言いたいのかさっぱりわからない」と嘆いていた学生が読書会の終わりに興奮気味にこうつぶやいた。「勉強がこれほど面白いと思ったのはこれが初めてだ。」そうなのだ。主体的に協力して取り組めば、勉強は最高に楽しい。そしてこれこそは、『自由からの逃走』とは反対の態度、自由への挑戦である。彼らは知らず知らずのうちに、自由への挑戦を開始していたのだ。こういうことが起こるから、寮生活はやめられない。


寮長 小舘美彦

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posted by 春風学寮 at 14:54| 日記

2021年11月15日

『自由からの逃走』の拒否

 『三四郎』の後に読書会で読み始めたのは、フロムの『自由からの逃走』である。世界各地で独裁的な政権が打ち立てられている今、これほどアップトゥデイトな読み物はあるまい。また内容的にも心の問題からと社会問題にわたる幅広い題材を扱っているので読書会には最適である。

 しかし、それだけにこの本を読みこなすのは難しい。参加者の中には、「何が言いたいのかさっぱりわからない」と嘆く者も現れた。彼らは脱落するのではないかと私は諦めかけていたのだが、しばらくすると驚くべきことが起こった。彼らが共同で読書会のための予習を始めたのだ。おかげで次回の読書会は、極めて充実したものとなった。みんなで話し合いながら高度なテキストを読み解いていくという理想的な読書会となったのだ。

 「何が言いたいのかさっぱりわからない」と嘆いていた学生が読書会の終わりに興奮気味にこうつぶやいた。「勉強がこれほど面白いと思ったのはこれが初めてだ。」そうなのだ。主体的に協力して取り組めば、勉強は最高に楽しい。そしてこれこそは、『自由からの逃走』とは反対の態度、自由への挑戦である。彼らは知らず知らずのうちに、自由への挑戦を開始していたのだ。こういうことが起こるから、寮生活はやめられない。


寮長 小舘美彦

posted by 春風学寮 at 14:02| 日記

2021年11月01日

「『三四郎』は推理小説であった」

後期の読書会では、夏目漱石の『三四郎』をじっくりと読んでいる。そして分かった。『三四郎』は極めて高度な推理小説であると。推理小説とは、江戸川乱歩の定義によれば、「主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれていく経路の面白さを主眼とする小説」である。この定義の「犯罪」と言うところを「心の罪」と言い換えれば、すっぽり『三四郎』に当てはまる。

 漱石の小説のほとんどは、一見何が言いたいのか全く分からない。殺人事件が起こるわけでもなく、主人公たちが対決するわけでもなく、プロットが劇的に展開するわけでもない。ただ、主人公たちでの日常的な体験と、それにまつわる心の動きが淡々と描かれているだけである。これを一人で読んだとしても、何が言いたいのかさっぱりわからない。

 ところが、読書会でみんなの力を合わせて読んでみると、さりげない出来事がすべて心の重大問題の伏線になっていて、それらから登場人物たちの心の罪や日本社会のひずみ、そしてそれらから逃れることのできない人間の哀れさや健気さが露わになってくる。

 寮の読書会があって、初めてそのような漱石の素晴らしさが明らかになった。また、漱石の高度な小説があって、読書会というものの素晴らしさもまた明らかになった。世の中にはみんなで読んだ方が良い本があるのだ。

 ちなみに、そのような本の筆頭は聖書である。聖書こそはみんなで読んで初めて理解できる本である。寮の日曜集会は、みんなで聖書のなぞを解き明かす読書会のようなものだ。


寮長 小舘美彦

posted by 春風学寮 at 11:03| 日記

2021年09月21日

「新たなる出発」

 9月12日(日)、寮の活動が本格的に始まった。その開始を象徴するかのように、寮の有志が春風農園を造った。高々二坪ほどの菜園を農園とは、いささか大げさだが、そこには秋の新しい出発に対する大きな期待が込められていよう。

 これを機に、春から夏にかけての菜園の収穫を報告しよう。ゴーヤ39本(プランター苗4本から)、キュウリ21本(プランター苗2本から)、ミニトマト110個(菜園苗1本から)、イエロートマト94個(菜園苗1本から)、トマト34個(菜園苗3本から)。以上は成功した例。他方以下は失敗した例。ピーマン14個(菜園苗3本から)、ナス6本(プランター苗2本から)、米ナス2個(プランター苗1本から)。

 この成否を分けたものは何か。作物の背の高さであろう。寮は基本的に日当たりが悪い。木が多く茂っているからだ。そのような中でもゴーヤやキュウリやトマトが成功したのは、これらの背が高く、日差しを多く浴びることができたからである。他方ナスやピーマンの背は高くない。それゆえに日差しを多く浴びることができず、多くの収穫をもたらせなかったのである。

 人間も同じである。太陽の方を向いて背を伸ばしていけば、たとえ日当たりの悪いところにいようともたくさんの実をもたらすことができる。しかし、太陽の方を向いて背を伸ばしていくことができないならば、日陰に負けて収穫も少なくなってしまう。幸い人間は、野菜と違って、意志次第で太陽に向かって背を伸ばしていくことができる。寮生にはぜひとも太陽に向かってぐんぐんと背を伸ばし、太陽の光をいっぱいに浴びてほしい。

 人間にとっての太陽とは何か。もちろん真理であり、神であり、神を体現するイエス・キリストである。


2021年9月19日(日)寮長 小舘美彦

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posted by 春風学寮 at 10:44| 日記

2021年09月10日

「真夏の夜の夢」

寮生の一人がバレエ・ダンサーをしていて、『白鳥の湖』の王子役と『レミゼラブル』の宿屋の主人役をやると言うので、寮に残っている寮生たちと見に行った。コロナ下ということで観客は家族や関係者だけだったが、その内容は実に素晴らしいものであった。バレエ・ダンサーの彼は、学業よりもバレエを優先するプロ志望の学生で、現在も出演料をちゃんともらっている。それだけあって、驚くほど踊りがうまく、素人目にもその優秀さが解った。

 何よりも私たちを驚かせたのは、『白鳥の湖』の王子役の時の彼と『レミゼラブル』の宿屋の主人役の時の彼との違いであった。王子の時の彼は、優美にして繊細、大胆にして華麗、まさしく王子であった。ところが宿屋の主人の時の彼は下品そのもの、宿屋の客に娼婦を紹介し、たんまりと金をせしめてにっこりとほくそ笑む。何という落差。これがあの王子を踊っていたのと同じ人物かと目を疑うほどであった。

 後日、彼に聞いてみた。「宿屋の主人役、すごくうまかったねえ。ひょっとするとあれが君の地なの?」すると彼は、否定せずに、「どうかなあ」と笑っていた。その笑顔を見ながら私は思った。「彼はもう夢の世界に生き、夢を売るプロなのだ。これは大物になる」と。


 2021年9月9日

寮長 小舘美彦

posted by 春風学寮 at 09:47| 日記

2021年08月12日

「ゴーヤ大豊作」

日照りが続くからか、ゴーヤが採れて採れて仕方がない。たった二つのプランターから、今日一日で11本採れた。今迄に採れたのを合計すると、約30本で、これからもまだ採れそうである。

 困ったのは、食べ手がいないことだ。寮生のほとんどは帰省しており、残った数人の寮生はあまりゴーヤが好きではない。おかげで寮長の食卓のおかずは毎日のようにゴーヤチャンプルである。

 しかし、黄色くなったゴーヤは、苦みがなく、やわらかいので、サラダにして食べると結構いける。これである程度単調さを回避できる。

ちなみに、黄色くなったゴーヤこそが完熟状態であり、栄養もより豊富なのだそうだ。緑のゴーヤだけが食べられるゴーヤだ、などと思いこまずに、ぜひ挑戦してみてほしい。


寮長 小舘美彦

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posted by 春風学寮 at 13:52| 日記